おほきみは神にしませば

「羊」が「大」きいと書いて、「美」という字になります。むかしむかしのその昔、大きいことは美しく、有り難く、尊かったんでしょうね。

豊かな人は体も大きく、大きい人は力も強く、広い世界や多くの民(小さき人々)のことを考えられる大きな心を持っていたのだと思います。

そういう人が<おおきみ、おおいぎみ≒大いなるお方>大君、王、王君、大王と呼ばれ称され慕われ敬われ、また畏れられたのだと思います。(漢字があてられたのは勿論、中国から漢字を輸入してきた後のこと。)


NHK大河の『平清盛』で、「王家」という言葉が使われて、怒り狂っている人が沢山いるようですね。


たしかに私も、その言葉が耳に入ったときは、えっ?って思いました。それは聞きなれない言葉ですし、天皇家をそう表現するのを聴いたことがなかったからです。王は皇より格下な印象ですしね。

でも、ドラマの清盛の時代、今で言う「天皇ご一家」や「皇室」「皇族」を表す言葉はなんだったんでしょう。

貴族の世の中から武士の世の中へ変えていった人の物語中に、天皇家を「王家」と呼ばせるのがそんなにいけないことかしら。なんかそれ、ドラマの見方が間違ってるような気がします。将軍様のことを云々できないお隣の国みたい。。

76年大河ドラマ平将門』(原作:海音寺潮五郎)では、「おほやけ」という言葉を用いてますね。これなら、古めかしい印象もあるし田母神様もお怒りにはならなかったかもですが、どうなんでしょう。やはり不敬なのかしら。


goo辞書より

おお‐やけ〔おほ‐〕【公】

《「大宅(おおやけ)(大きな家)」の意から、皇居・天皇・朝廷、さらに公共の意に転じた語》
[名]
1 政府。官庁。また、国家。「―の機関」「―の費用」
2 個人の立場を離れて全体にかかわること。社会。公共。世間。「―のために尽くす」⇔私(わたくし)。
3 表だつこと。表ざた。「―の場に持ち出す」「事件が―になる」
天皇。皇后。または中宮
「おほかたの御心ざま広う、まことの―とおはしまし」〈栄花・月の宴〉
5 朝廷。
「―の宮仕へしければ」〈伊勢・八五〉

「王家」も「おおやけ」と読めそう。


柿本人麻呂の歌

 皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為流鴨

おほきみは かみにしませば あまくもの いかづちのうえに いほりせるかも
大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも

また、或本には、

 王 神座者 雲隠伊加土山尓 宮敷座

おおきみは かみにしませば くもがくる いかづちやまに みやしきいます
大君は神にしませば雲隠る雷山に宮敷きいます

というのもあるそうで。それでも清盛の口に言わせるのはダメなのかしら。

ところで、この人麻呂の歌、なぁんか気になります。
天皇は神様でいらっしゃるのだから天の雷の上に宮をお建てになる
とかなんとか詠ってるんですよねぇ、これ。あまりにも嘘臭くわざとらしい、なんか皮肉みたいに感じます。本気でそう信じて詠ったのかしら?人麻呂はおほきみが神様でないことを知っていそう。

あら、話がそれました。私はドラマの中の人が「天皇家」を「王家」と呼んだといって怒る人のほうが変だ思います。