「ありがとね」が口癖の

kyopin2007-01-10

あれから雪が降って


富士山が綺麗に見えるところと、蟹が美味しいところと、石臼で挽いたお蕎麦が美味しいところと、薔薇が綺麗に咲くところへ連れて行ってくれると言っていた舅が、亡くなってしまいました。入院中でしたが、お正月は外泊許可をいただいて自宅へ帰って来てました。お雑煮もお節もしました。大好きなカレーうどんも、甘いものも。庭の伊予柑狩りもして、ご先祖様にお線香もあげて。


明日は息子(iぢ@夫)と水入らずで知多半島に釣りだと楽しみにして、用意万端ととのえて、ルンルンとお風呂に入った時の出来事でした。わたしたちは、これはワクワク死にだと思って、諦めることにしました。


お風呂は44℃設定になっていました。冬なのに素足や薄着で平気だったり、お茶の葉を通常の10倍くらい使ったり、随分いろいろな感覚が鈍っていたのだと思います。掃除機が部屋数より沢山あったり、一人暮らしなのにTVが4台(かな?)あったり、トイレットペーパーやラップやジップロックが山ほど買いだめしてあったり、それぞれの部屋に時計が3つ4つずつあったり。それらは舅のきれい好きや心配性や寂しさを物語っていました。


躁状態がはじまった10月からは、ほぼ毎日のように娘と息子が入れ替わり顔を見せ、一緒に買い物に行ったり食事をしていました。ボケたふりしてみるのもエエなぁ、って喜んでいたおとうさん。フリじゃなかろうが!と、ツッコミを入れていた子供達。


子供孝行な人だったねと、故人のきょうだい達に慰められました。そして、良くしてくれてありがとうって、たくさんお礼を言われました。それは、おとうさんが周りの人に、わたしたちのことを褒めからかして(名古屋弁。「褒める」の最上級)くれたからなんですよねぇ。なんて素敵な人だったのかしら。


嗚呼、これで四人の親が全滅です。子供でいられる幸せも終わったのねぇと、やっぱりジブンのことばかり考える日常に戻りつつあります。(ご弔辞コメント頂戴は辞退させてください)