無音のおらしょ

kyopin2007-04-22

ちゃんぽん食べたいにゃ


長崎市民が市長の世襲を選ばなかったことに拍手です。昔からあの地には世襲の殿様はいないんですよね。江戸の直轄地だったので、殿様ではなくてお奉行様。まぁ、その歴代のお奉行様たちは甘い汁に溺れ三昧ではあったそうですけどね、それでも長崎はやっぱり町人の都市だったことでしょう。


でも、あの娘婿さんが伊藤一長さん似の実子だったらどうかしら。人情を切ることができたかしら。当選なさった田上さんはちょっと貧弱そうですけど、他にはいないものね。共産党の候補者が大穴かとも思いましたが、田上さんの絶妙の出馬タイミングと、行政のプロであることと、脂ぎってない若々しさが票を集めたのでしょう。


長崎・田上といえば、わたしには「たがみ」で、父が結核で療養していた、絵に描いたような丘の上の水色の木造洋館のサナトリウムなので、この方もそのあたりのご出身かと思いきや、五島の方だそうです。


五島はわたしの憧れの島。鉄川与助の煉瓦の教会堂や、祠のマリア観音、かなしいOratio。五島のオラショ(隠れ切支丹が伝え続けた、祝詞やお経のように変容してしまったグレゴリオ聖歌)は、声として発することさえない、究極のおらしょ。唇の内側までの祈りの言葉、歌。無音の音楽です。


四百年、無音のオラシオを奏で続けた切支丹のような強さを、長崎市長は、どうしても求められます。長崎は未来永劫、世界に窓を開いていなければならないのだから。