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今日は七草。大好きな七草粥をしました。勿論、スーパーで売ってる七草セットで。♪芹、なずな、ごぎょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ♪

芹とすずな(大根)とすずしろ(蕪)はスーパーで普通にいつでも買えるし、ハコベラナズナは普通にどこにでも生えてます。あと残るはごぎょうと仏の座。私はこの二種の見分けが怪しいんですよねぇ。

ごぎょうというのは、ハハコグサのことですけど、これがこの時期は冬越しのため小さくて、、。春、花が咲いている状態ならすぐに解るのですが。



これは仏の座。
この、春に咲く普通のは解りますけど、七草で言うホトケノザはちょっと違うんですよね。日頃、その名付けで見ていないので見分けがつきません。

似たようなのを間違って採って食べたら、わ〜〜なんかシビレルぅ、、バタンキュン、Ω\ζ°)チーン、、、なんてことになりかねません。大抵の自然モノ天然モノは食べられないどころか、危険なものも少なくなさそう。やっぱりスーパーで七草セットを買うほうが安全です。


昔むかしのその昔の人たちは、これは食べられる、これは食べられないって分けていったのでしょう。もう先のないお年寄りが「じゃぁ、ワシが喰ってやろう」なんて、体を張って試してくれたものもあるのでしょう。

食べられる物と、食べられない物、というカテゴリ分けをしたのが最初の科学なのだと思います。それぞれに名前をつけて、見分けやすくして、人に伝えやすく、知識を共有しやすくして。そんな作業を長い長い間、私たちはし続けて来たのですね。

危険を知ることが原初の科学だったのだと思います。科学は後戻りできないって言う人がありますけど、なんかそれ、ちょっと違うような。

たしかに科学は進んでいくもの、積み重ねていくもので、後戻りはありませんが、間違いは修正できますし、安全と危険を分けて、使うか使わないかを決めるのは人智でしょう。科学ではありません。科学は考える糧です。

「じゃぁ、ワシが喰ってやろう」と言って果敢に挑んで死んでいった人たちの上に、現在の私たちの、それなりに安全な世界があります。勇敢で頑張り屋だったワシらはこの度、国を亡くすかもしれないほどの危機に遭いました。

今は取りあえず、少なくともこの地震列島日本の私たちは原子力発電から手を引いたほうが懸命だと思います。

勿論、研究を続けて危険を乗り越える挑戦を続けることは意義があると思います。食べられるか食べられないかを見極めるのが大事。それが禾を斗ること、すなわち科学だと思います。