今のわたしはどこから生えた

kyopin2004-06-08

にゃがーーーん!!!


……というのが、現在のわたしの鷲津山の怪としての記憶なんですが、思い出すには遠くなりすぎて、もしかして、記憶と想像が入り交じっているとか、記憶の書き換えが行われていて、本当はやってしまっていたのではないか?などとも思います。完全犯罪。まさかね。でもその夕暮れは、わたしのパラレルワールドの分岐点で、その線上に、やってしまったワタシがいるかもしれないです。そのワタシは今、どうしているんだろう。


坂道の片側の、小さな畑を横切り、雑木林に入り、山の西斜面を降りると池がありました。雨の量で大きさが変わる池で、そんなに深くはなさそうで、周囲は歩いて10分くらいの大きさの時が普通でした。毎日毎日、その池へプランクトン採集に通っていた夏がありました。同じ年かなぁ、12才時。池というより沼だったのかも。ずぶずぶと足が取られるような感じだったので岸から1メートルも入ったことはありませんでした。


友達と一緒に行かなければ、さすがの冒険者きょしゃーんも一人では暗くて怖い鎧武者の森でした。夜、顕微鏡を覗き、採集してきたプランクトンのスケッチなどしながら聴く深夜ラジオからドアーズが流れてきたりすると、ああ、死にたい、死んでみたいよー、、って思っていました。だから今でも、「THE END」を聴くと、死にたくなります。死ぬためのワケなんか何もないんですけどね、ふと、水晶の船に乗ってしまいたくなるのね。