ワタシ、イイコ

kyopin2004-10-31

…なんか苦しい…


わたしたちは子供をちゃんと育てられない世界にいるんだろうと思います。そりゃ、いつの時代だって悪い人は育ったのだけど、「悪い人」とは呼べない人の事件が多すぎるように見えます。2才の優太君は奇跡と彼自身の生命力で命を繋いで、24才の青年は酷たらしく首を切られてしまいました。優太君はほんとうにえらかったけど、青年はほんとうにおばかさんだったのかしら。もしそうなら、誰が彼をおばかさんに育てたのかしら。決して親御さんだけのせいじゃないし、ましてや彼自身のせいじゃないでしょう。


わたしは過去に、仕事上で幼児とたくさんおつき合いしてきました。でも、悪い子はひとりもいませんでした。わが子に何かしらの夢を託してピアノ教室に連れてくる親のいる子達に限られるので、いろんな子を見たとは言えないですけど、それでも家庭の事情はそれぞれで、視野狭窄の教育ママの子供もいましたし、一般的に複雑とか恵まれないとよばれる家庭の子もいました。それでも幼年では学習能力のない子や、悪い子はいませんでした。捻くれていったりするのはそれからのことで、それでもシングルエイジの頃は素直で賢い子ばかりでした。ほんと、幼年の愚か者はいません。


小さい頃からおつき合いしてきた子が中学生になると、みるみるうちにに顔色が暗くなり、表情が少なくなっていきます。お勉強も出来てピアノも上手で、楽しみも持っていて、友達もちゃんといる子でも。反抗期でブスくれているのとは違う、中学生独特の能面。窮屈なんだろうな、世の中が狭すぎて。大学を出るまではしょうがないから親の言うとおりにしてきて、それからなにか好きなことをやろう、なんて考えている子は普通の子。育てやすい子かな。常識的にものを考えて冒険はしない保守的な子かな。安心できる子かな。良い子でいてくれる子かな。そういう子が狭い環境を抜け出して外国へ行く事って少なくないと思います。おばかな良い子を送り出しているのはわたしたち大人なんですよね。


殺された人をばかだと言う大人がいる、教育者がいる。君が代をみんなで歌えるようにするのが私の仕事でございますと言う教育者がいる。子供を想像力のない人間に育ててきたのは親と学校とその他の環境、この国。わたしたち大人が作った今なんですよね。


うちのデッシーたちは練習してこなくても叱られないからちっとも上手くならなくて、まぁ、近所では評判の悪い教室になってるかも知れませんけど、それでも長いおつき合いになる子がたくさんいます。学校が荒れていた時代は一種の避難所みたいになっていたこともありました。今はもう、子供が少なくなって、そんな余計な仕事はなくなりました。幼稚園から中学高校くらいまでの長いおつき合いで、ご家族の次にその子に関わり続けてきた責任みたいなものを、とても大きく背負っていたように思います。そんなわたしの大事な仕事は、音楽で一緒にうっとりすることと、レッスン中に一回は師弟でバカ笑いをすることでした。うっとりとバカ笑いの種を一緒に見つけることだったのかも。それは今でも同じですが。


いじめっ子もいたし、いじめられっ子もいました。どちらも良い子なんですよね。どちらも寂しくて、どこか欠けていて。もうこの先、子供の生徒をとるのはやめようって思うことがありますが、ご縁があってまだ数人います。初めてのレッスンの時、ああ、また長いおつき合いになるのねぇって思います。ピアノなんかヘタでもいいんだよ、死にはしないよって言う日がまた来るのかなって。