救急車しました 2

kyopin2005-05-09

正直、しんどかった(らしい


休日診療の受付をすまし、待合所へ。うわぁ、4-50人くらいはいたかしらん。[ただ今の待ち時間 45分]ですって。しんさんはもう真っ青、脂汗です。椅子に座っているだけで辛そう。かと思ったら、お手洗いへ。またげぇげぇするんだわ、可哀想に。ああ、死ぬ、死んでしまうんだわ、わたしのしんさんは。どうしよう、これから先、わたしは猫三匹かかえて、どうやって生きていこう。お米はどうやって二階へ運ぶの?Macちゃんがクラッシュしたらどうすればいいの?
うわーーん。死のう、一緒に死のう。そうだ猫も連れて一家心中するのだ。車にガソリンを積んで、どこかへ突っ込もうか。迷惑かけずに確実に死ねる場所はどこだろうか。とかなんとか、頭をよぎります。


お手洗いから帰って来たしんさんは「なんか楽になってきた」と言いました。診察を待って30分、まだ順番は来ませんが、腰掛けているのがさっきまでより楽そうです。じゃ、ちょっとわたしも、って、席を離れて、戻ってきたらしんさんがいません。「具合の悪い人は看護士にお申し出下さい」って、電光掲示されていたので、もしや?と、おろおろしていましたら、隣の席のマスクをした女性が指で<3>を出しています。ああ、第三診療室だな、と思い、そのお部屋の前で待ちました。尿管結石だったら、きっとはじゅかしいことをされていると思うので、中には入れませんから。


その時でした。待合所からは死角になっている廊下からドスのきいた女性の大声が。「アンタねぇ!一人じゃ離婚はできないの!子供が大学まででるのに一千万はかかるでしょう!明日三百万振り込みなさい。慰謝料とは別だからね。アーアー!宮崎でもどこでも行けばいいじゃない!!とにかくすぐ三百万!!」


こあいよー。すごいよー。うひゃぁーー。
そんな時、人って同意や共感を求めるものなんですね。連れのある人は連れ同士で、連れのいない人は両横やななめ前後の人たちと目を合わせ、ぐふ、うはっ、くすくす、まぁ・・とか、目を見張ったり、首をすくめたり、欧米人のように肩をあげて両手を上に。怪我をしている人も、ぐったり椅子に凭れている人も、一家心中を考えている人も、現実の心配や痛みを一瞬わすれるような、ある種の連帯感のようなものを覚えたのでありました。しんさんは診察中、残念だったね、共感できなくて。


あまりの大声で、携帯電話していることを知られた女性は、看護士さんに注意され電話を切って死角からこちらの連帯感あふれる待合所に歩いてきました。みんな、どんな人だろうと興味津々。。やせ型の三十歳くらいの地味なママ。イルカかアシカの大きなぬいぐるみを抱いた三才くらいの可愛らしい女の子を連れて、優しいソプラノで「ほらぁ、こっちよぉ」って行き先を促す声は、まるで別人。待合いの救急患者たちは、またも知らぬ者同士目を見合わせるのでありました。(つづく)