敗戦の日

kyopin2005-08-15

弾いてね


今日、こちらの地方の小学校で、第二次世界大戦中に爆撃を受けた小学校のピアノの演奏会がありました。地元のニュースでしか流れてないと思いますけど。六十年間一切手を入れられてないピアノをそのままで、小学生から八十代の方まで、何人かのアマチュアピアニストが弾いたようです。


側面の下方に穴が空いていて、鍵盤は象牙のようで黄色く変色していて、随分剥がれ落ち、高さもガタガタで、弦も所々切れていて、音が鳴らなかったり狂い放題で、それはもう痛々しい限りでした。


学校まで攻撃されたのだよ、戦争は怖いです、してはいけませんね、という啓蒙にはとても効果的だとおもいましたが、どこかしっくり来ませんでした。爆撃されて穴が空いたピアノ。敗戦して、ピアノを振り返る余裕がない時間が過ぎていったのはよく解りますけど、なんで60年も放っていたのでしょう。


そのピアノはずっと倉庫に保管され続けられたのだそうです。ピアノ(鍵盤楽器)は消耗品なんですよね。放って置かれるだけで劣化します。弦楽器などのように何百年前の名器などは存在しません。歴史上の有名な誰それが使ったか、楽器としてではなくアンティークな美術工芸品としてか、そんな価値でしか残せないものです。それでも手入れさえしてゆけば、百年近くはなんとか現役の楽器として使えます。


せめて「もはや戦後ではない」と言われた昭和三十年あたりにでも、なぜ思い出して手入れしてあげなかったのでしょう。捨てられなかっただけマシ?自由な表現活動が出来なかった時代を超えても、一旦すりきれた文化はすぐには戻らなかったのでしょうか。


三十年代から始まった高度成長期にわたしは生まれました。「もったいない」を知り尽くしていたはずの両親との核家族生活は、やっぱり使い捨て、大量消費でした。古いものを大事にしない狂った時代だったと思います。


音が狂っているのは戦争のせいではないです。それを見捨ててきた昭和の人たちのせいです。60年目の終戦の日の演奏披露会がおわって、穴はそのままで、他は修理して調律されるそうです。記念品ですね。見せ物、晒し者にされるピアノ。少しは演奏してもらえることを祈ります。かえるの歌でも、猫ふんじゃったでも、平成のこどもたちの指で。