紙魚がいた頃

kyopin2005-08-26

ここにオタカラがあるんにゃ


紙魚といえば、父の本棚です。きょしゃーん幼生時代、襖3/4くらいの小さな本棚がありました。扉はガラスの入った観音開きで、ガラスには内側に、水色のさらさらのカーテンが施してあって、その真ん中がふわっとくくられていて、西洋風のお家の窓みたいでした。


梅雨明け頃だったのかなぁ、それとも梅雨入り前の爽やかな季節だったのか、毎年、虫干ししていました。小さい本棚なので大した量ではないはずなんですが、いざ、すべての本を出してゆくと、借家の小さな縁側は本だらけになりました。


お日さまにあてて、ぺらぺらと頁をめくっていくのが、父とわたしの仕事でした。母はこの時とばかりに、空っぽの本棚を移動して、本棚の底の大きさだけ焼けないで青いままの畳を拭き拭き。本棚の中も外も拭き拭き。ケントクっていう艶だしをきゅきゅきゅ。安物の本棚もピカピカになったことでした。


縁側で、ぺらぺらしているのは、ぢつわ、わたしだけで、父はぺらぺらしているうちに読みふけります。夕方になっちゃうから読んでないで、もぅ!とかなんとか母が怒っていたりして。わたしは夢中でぺらぺらぺらぺら。わりに単純作業が好き。


そうしてると、お日さまをあびてキラリとひかる、薄っぺらいヘンな虫がさささと出てきます。出てきた本は念入りに何度もぺらぺら。まだ掃除機がなかった頃。箒とちり取りで、あの虫は上手く駆除できていたのかしら。そんなに掃くほどゾロゾロと出てくるわけではなかったけれど。


やっと三十くらいだった父母の家財道具ったら、その本棚と、水屋、ラジオ、出始めの四つ足白黒TV、ステレオになる前の電気蓄音機(略して電蓄)、父のギター、母の鏡台と足踏みミシン、盥と洗濯板、犬小屋、鳥籠、電気炬燵、電気釜。トースタはどうだろ、もうあったかしら。あったな。ミーコが、パンが焼けて飛び出ると襲いにいってたから。アチチチってしながら格闘して、母に叩かれてたわ。嗚呼、昭和は遠くなりにけり。