たのしい法事

kyopin2005-09-26

おつかれさまでした


愛知万博閉幕の昨日、我が家は法事でした。しんさんの母の母の一周忌。まぁなんというか、ユニークというか、落ち着きのない血筋のようで、チョーナンのヨメっぽいわたしはらくちんです。


「平服でどうぞ」という招待状(息子に往復葉書の招待状を出す喪主も珍しいような気が、ちょとする…)だったので、まぁそうだよねって思っていました。しんさんも勿論そのつもりで、でも、着て行くモノがないから洗っといてねーって差し出されたシャツの山を言われるまま洗い、干そうとしたときです、、えっと、これ、、全部、ア ロ ハ じゃーーーーん!


アロハしかないの?(注、我が家では自己責任で衣類を購買、管理しています)。裸のおねいさんやウクレレや青や赤の花や葉っぱや、、だめじゃん、、いくらなんでも、って言っても、ご本人は「だって平服でって書いてあった」と言い張ります。平服っつったって限度があるでしょ、TPOっつうもんがぁ。。と言っても聞かない。


そういえば、わたしの父も、その父のお葬式の時に喪服を着なくて顰蹙を買ったことがありました。服なんかなんでもいい、アホらしい習慣に囚われんでもいいって言われたワタシ。。そういうタイプに縁があるのね。


で、一番地味なアロハはくすんだ濃ピンク、、あずき色とでもいえば聞こえが良いか。掠れたような白の小さなハイビスカスの裾模様で、しんさんは「仏壇の柄みたいで法事っぽいじゃん、これでよし!」と意気揚々。会場に着き、すみません、これで行くって言ってきかないので、、と、親戚のおば(あ)様方にアタマを下げるも、いいじゃないいいじゃない、平服って書いてあったし、って慰められるというか、本心でおっしゃってそうな明るい笑顔。うーーん。


法要の最中も、ボソボソくふふふとざわめく会場。一番静かなのはわたしとしんさんかも、っていう感じの落ち着きのなさであります。和尚さんも「新しい御経さんは年寄り向きで字が大きいから重くてねぇ、読みながらだんだん下がってくるのですよ」とかなんとか仰ってるし、読み上げられるお経は「チャウチャウ」がどうしたとか「きゅるきゅる」とか「回覧板伝言板」とか、なんかヘン。この落ち着きのない人々のための超高速読みだったようでした。


さて会食。わきあいあいと進みました。「しんぢはまだシーチキンしか食べられんのか?」「海老もだめか」「鰻もか」「色々食べんでも大きくなれるんだねぇ」とか、しんさんの偏食の話題などで盛り上がること盛り上がること。


母親のお墓にも参りに行ったことがないというしんさんに、「行ってあげやぁ。先祖は大切にしなかん」という常識的発言にほっとした瞬間、「いーや、墓参りなんかせんでもいいよ。自分さえ大切にしとけばいいの!あの世はあの世で楽しくやってるからいいの!あんたが幸せならあっちも幸せなの!」って言ってくださるおばさまもあって、なんともかんとも素晴らしい。。


そんな肩の凝らない法事でしたが、早起きしたことと、強い陽射しを受けたこと、慣れない畳のうえに長時間いたことなんかで疲れてしまって、しかも、帰りにスーパー二軒も梯子してヨレヨレになってしまいました。6袋の買い出し品を仕分けして、ちょっと横になろうとベッドへ入って、目が覚めたら夜。義経、終わっちゃったかなぁと時計を見たら、えー?!朝の四時でした。義経はもうどこにも居ない……。12時間ほど寝ちゃった。


そんなに疲れていたのかワタシ。社会生活には向いてません。モリゾーさん、わたしも森に帰りたいよ。