イラ草の哀しみ

kyopin2006-04-26

猫は犬ほどキレないけれど


25歳男性の、むしゃくしゃしたからという理由で、八坂神社の御幣が燃やされたそうですけど、まぁバチ中りではあるけど、どこまでいってもそれはモノですから良いとして、イライラしてたからという理由で惨殺された写真屋さんは気の毒でなりません。そして、中学時代の塾の先生に付き添って貰って自首した犯人の少年も哀れでなりません。


帰る家がない、泣きついていける親が居ないというのがどんなに寂しいことか。人殺しをして、出頭する前に彼は、療住まいしているその町から、自宅のある町へ帰って、それなのに自宅へは戻らず、中学時代の塾の先生に会いに行ったというのが真実ならば、哀れで哀れで。


高野山って空海でしたっけか。助けてくれないんですね、写真屋さんも少年も。空海、なにしとるん?って思います。少年に、その塾の先生が存在したことがせめてもの救いです。


そういえば、真言宗ではないけど、とても宗教を信じている人に、祈りもしない人を助ける神様はいないって言われたことがあります。そんな了見の狭いカミサマなら、わたしはいらない。


でも真言宗のお経は好きです。頑なまでにその音韻を大切にするようです。言葉には意味と音韻があるけれど、音韻を上とみるのかしら。それはとても音楽だなぁと思います。魂に直接訴えるなら、言葉は意味より音韻のほうがチカラが強いと、わたしも常々思っています。


犯罪を犯す少年達の心の言葉を、真言や音楽のようにそのまま誰かに伝える術があるといいのに。ある程度秩序立てて表現するのが難しいほど、彼らの心の中は混沌としているんでしょう。きっぱりと秩序を持つことが幸せだとはおもわないけど、この世に生きている限り、誰かと共感しあう幸せを持ちたいのは、孤独な殺人犯なら尚更ではないかと思うのです。

  
  ゴッドにもブッダにもある小さなツ 
   ウッドベースにでも祈っておこう