ディエスイレ

kyopin2006-08-15

子供達は無邪気に匍匐前進ごっこ


エリザベスサンダースホームのドラマが良かったです。松坂慶子澤田美喜さんによく似ていました。とてもお洒落で上品で強くて美しい人でした。松阪慶子って大根だとおもってたので見直しました。それとも、魂レヴェルのリキがはいっていたのかな。


最後までとうとうアイノコっていう言葉が使われませんでした。もう、わたし(昭和三十年代生まれ)くらいからは、その言葉は差別用語ではないんですよね。ハーフという言葉に言い換えなくてもぜんぜん大丈夫だった覚えがあります。ちょっと違いますけど、アイノコって愛の子って読めますね、Love Childって言えば私生児のことだったかしら。そんなタイトルの歌がなかったかしら、スリーディグリーズだったか、、おぼろですが。


わたしは原爆被爆二世なんですが、この頃は「いつまでも朝鮮人のように恨みがましく言うな」という意見も耳目に入ってきます。他の人は知らないけれど、両親をはじめとするわたしの知っている被爆者たちは、別に誰かを恨んでいる様子はなく(例えばアメリカとかその大統領とか原爆の開発者とか天皇とか東条英機とか)、ただただ戦争と核兵器を憎んでいたのだとおもいます。


まぁ。自分たちの身の回りを見渡せば、惨い死に方をした赤ちゃんから、志願して特攻した人、赤紙一枚でかり出され武功を上げた人戦死した人、そして戦犯まで、各種取り揃えですから、自分たちが被害者なのか加害者なのか答えが出せないわけです。だから、ただただ世界中の子や孫たちに、あのような惨めな思いを味わわせてはならない、あのような地獄を二度と起こしてはならないと、そればかりだとおもいます。だからその「あのような」を伝えようと、それだけなのです。


テポドンが飛んでくるかも知れないとなれば、やはり日本もそれに見合う兵器をっていう方向に流れそうですね。弱肉強食、食物連鎖の頂点に立つわたしたちですもの、先制攻撃してでも生き残ってきたわたしたちですもの。勝つことに長けている人だけが子孫を残してきたのですから、きっとそちら方向へ進むのを止められないことでしょう。そしてまた、あのレクイエムにあるディエスイレ「怒りの日」が起こるのだわ。地獄への蓋が開いて、恐怖を告げる喇叭が響いて。


戦争は国と国、民族と民族の戦いではないです。強いものが弱いものを殺す、もっとうんと一方的なもの。男が女を、大人が子供を、老人を、障害者を、病人を。またわたしたちは生きながら焼き殺されるのだわ。そして恐ろしい奇形を産み、うんと醜くなってゆくのだわ。