著作権のこと

kyopin2006-12-20

著作権の新しい夜明けはまだか


JASRACら23法人、YouTubeトップページに日本語による注意文の掲載など要請
これはどうなるのかしらん。この23法人が世界の笑いモノになってお仕舞いならいいのですけど。


ついこないだもJASRACが、スナックの店主(70代のおじいちゃんだったと思う)が営業時間に口笛でビートルズなどの曲を演奏したとして訴えていましたが、、。そんなことまで著作権の侵害とするのはどうかと思います。


ライヴハウスなんかは月額いくらとかで契約して、何を何曲何回演奏しても良いらしいのですが、それでは著作権者に正確に配分などできるわけはないですよね。ではいったい、そのような収益はどのように誰に渡されているのか。


たしかに、ベートーヴェンなんかは、死ぬ思いで作った芸術作品を出版社に売ったら、もうそれでおしまいであることに、とても不条理を覚え、その使用料をなんとかできないかと運動したと聞きます。それ以前の王侯貴族や教会に雇われてお給料を貰っていた音楽家が、モーツァルトやベーさんの時代には個人事業主に変わってきたわけですけど、著作権などという考え方はまだまだ希薄だったようで、ずいぶん使い捨てされた芸術家も多かったことでしょう。


この時代からOPUS(Op.)という作品番号をつけることが習わしになっていきますが、これはイタリア語のOPERAと同義のラテン語だそうで、「作品」と翻訳されています。つまり、あの歌劇オペラです。いまでいう総合芸術をOPERA(作品=芸術)とよび、それ以外は作品とは認めなかったなかったそうです。ただし、ベートーヴェンのような人が出てきたことによって、オーケストラ曲のみならず、たったひとりで演奏するピアノソナタなどにも芸術に準ずるという意味で、OPUSの、いわば称号を与えたわけです。ですから、歌劇はOPERA=作品=芸術そのものなので、作品を作品とよぶ必要がありませんから、作品番号OPUSはつけられません。


だれがそんな畏れ多い権限を有していたかというと、それは出版社様なんですねぇ。で、ベーさんやらショパンやらから楽譜を買い取って大儲け。作曲者にはその後、一銭も入って来ない仕組みなわけです。いつの時代も商人は賢いことです。


そのショパンは、貴族や大金持ちのサロンでのスターだったわけですが、現代のような演奏会は、生涯に数回しか開いていないようです。その演奏曲目が残っているんですけど、自分のコンチェルトの一楽章だけとか、他人の曲とか、好きにやっていたようです。ショパンに限らず、その時代はレコードがまだないわけですから、楽譜を買って読んで、良い曲を選んで、聴衆に聴かせてあげることも、演奏家の大切な仕事だったのでしょう。


写真機もまだ出始めですから、美術や文学のように、過去や外国の、風俗や景色、人々の感情や哲学までもを広く伝えることも、音楽の大切な役目だったことでしょう。そのショパンさえも例にもれることなく、作曲では生活がなりたたず、貴婦人達への教授料で生計をたてていました。


それを思えば、著作権の保護は大切です。広く流通させてくれる出版社にも、そして、とりわけ、作者本人へ支払われるべき著作権料はあってしかるべきと勿論おもいます。わたしもお金を払って、作品からの恩恵を受けたいと思ってます。でもねぇ、、ようつべで充分なのもあるのよネ。ぐふ。お金までは出したくないワっっておもうもの。でも、ようつべで発見して、よーし!買いに行くぞー!って思ったものもあるのですよ>JASRACら23法人さん


23法人の中にNHKも入ってますが、いっこ貼ります。これは広める価値が放送局の著作権より大きいときょしゃーん様が判断したのです。捕まえに来ないでね。


視点・論点まん延するニセ科学」


しっかし、菊池誠さんの鼻濁音の美しいこと。