ピュタゴラスの竪琴

kyopin2007-05-24

もうちょっと高く


ほのぼのあけぼの春のピアノに別れを告げるべく、今日は調律をしてもらいました。またすぐ、梅雨が来て、雨粒型のようなお湿りピアノになってしまうんですけどね。


四半世紀に及ぶおつき合いの調律士さんは、いつも面白いお話も持ってきてくれます。今日の話題は中国のピアノ。とってもいいらしい。


Y社から技術指導を受け、よし!わかった!というところでY社に三行半を突きつけ、S社と提携したのだそうです。さすがS社の設計らしく、小さい割りにとっても深い響きを醸していて、30年前くらいの低価格だそう。ブランド名がいやん。ESS●X。エセ?S●X? いやんいやん。絶対おうちに置きたくない。。


そんなこんなの話に花をさかせながら、丁寧なお掃除も終わり、さて調律です。その間はわたしは隣のリビングに移動して壁の耳になります。


いつものことですが、なにげに聞いているこちらまで調律していかれる気がします。乱視が治ってゆくような感じ。いつものブレて見えるペーパームーンが、キラリ切っ先を尖らせてくるような。


ピュタゴラスの昔から、あーでもないこーでもないと調律法が探求されて来たわけですけど、利便性が高いぶんだけ透明度の低い平均律でも、一本一本調律されてゆく道のりを共にしていると、初夏の憂鬱がほぐされ、再びよいテンションを与えられて気持ちが良くなってきます。


あの指揮者登場直前の、オーケストラの音合わせが好きな人って多いですよね。わたしもそのひとりです。オーボエのラから始まって、ミやレやシやソが重なって行くと、さぁ音楽が始まるよぉっ、よその世界に飛んでくよぉって、船出の合図のように、身体のどこか底のような所が可聴範囲を超えた倍音を発します。


雅楽に「音取り」というジャンル(?というのか何というのか)があります。演奏前の意味のない音合わせを、小さいながらも聴ける音楽に作曲してあるんです。日本人の美意識のなせる技だなぁと、ほくそ笑んでしまいます。


しかも、バンドのメンバー紹介のシーンのように、楽器や奏者の紹介も兼ねていて、さらに、これから何調の曲が演奏されるかの紹介でもあって、聴く人々の精魂も同調してゆきます。


ピュタゴラスは調和した音楽で体の不調を直せると考えたそうですけど、なんとなく解ります。それを音楽療法という名を騙るインチキ商売の根拠にされているのは迷惑千万なことですけどね。


ピュタゴラスの竪琴を奏でてくれる伶人を持ち得ない現実が、嗚呼、哀しい。雅楽の調律もほぼピュタゴラス律ということなので、源博雅の音取りなど聴きながら、夜毎眠りに就いている五月病のきょしゃーんであります。