きもちイイような、コワイような

kyopin2007-06-10

みみそうじ


あぁあ、弦を切っちゃった。上から2番目のC。弦すら自分で替えられないピアノ弾きのツライこと、情けないことです。しょうがないからそのまま弾いていると、切れた弦が天を向いて、幾つかの音に共鳴してキーンジジジと震えます。調律師さんが来てくださる明日の夕方までは、このパーカッション入りを楽しみましょうっと。


お昼間に、なんちゃってホーミーで猫たちを怖がらせたバチかしらん。でも、面白いんですよねぇ、その怖がり方が。


わたしは、のど*んこや扁桃腺が大きいので、ホーミーしやすい質です。そんなに練習しなくても、それっぽく声が二つに分かれます。分かれた方の音が倍音、ギターなんかのハーモニクスの音ですね。


よく響く部屋で、声や楽器で綺麗にハモると、天井あたりから誰も出してない高音がうっすらと聞こえてくることがあります。それが「天使の声」って呼ばれる倍音です。聖堂で一心に祈りをこめて聖なる詩編を歌っているときに聞こえてくれば、それはもう神秘、紛う事なき奇蹟だったことでしょう。


咽を開いて発声する西洋のコーラスは天の声、咽を絞めて発声するホーミーは地の声のイメージです。アルプスの峯から峯へ響き渡るヨーデルは風の声かしら。


ふつうに聞いているあらゆる音には必ず倍音が含まれていて、わたしたちはその倍音ごとひっくるめて聞くことで、ひとつの音(色)を認識しているのだそうです。ですから、倍音が抽出されると、いつもの声(基音)から分離して、別の音に聞こえてくるんですね。音源が別にあるように聞こえます。


そのメカニズムは物の理でちゃんと解っていることなんでしょうけど、常でないものが聞こえたり見えたりすれば、それはやっぱり不思議ですし有り難いことなので、いつからか倍音教みたいなのも流行っているようです。特に抽出しなくても普段聞こえているのにへんなのぉ。カルトっぽさを切りはなして、純粋に綺麗な音(楽)として楽しんだ方が素敵だとわたしはおもいます。


TVの音はTVの音として、雑踏は雑踏の音として、ひとまとめにして、他の大事な音と分けて聞いていることなどは、神経や脳の働きで説明されています。それは、抽出された倍音が別音源のように聞こえる事の裏返しの現象ということかしら。


どこか人間独特の高度な働きみたいですけど、常の音ではないホーミーが鳴ると、猫もあらぬ方向に音源を感じて一点を見つめたり、そこに何もないことを知るときょろきょろするんですよね。動物として大切な認知力なんでしょうねぇ。


猫にはどんな風に聞こえてるのかしら、見知らぬ仮想敵の音は。その怖がりようったら並じゃありません。驚いてぴょんと飛び上がったり、その場で固まったり、物陰に隠れたり。ああ、猫の耳になってみたいです。