しょうがないが口癖の

kyopin2007-07-03

ニンゲンハダメダ


このごろエアコンやらピアノの不調やらでプンプンしていたのを、きのさんコゾフですっかりリフレッシュできましたが、昨日今日の曇り空と熱気で、体調が悪いです。今週は駐車場のオーバーなんとかで、アスファルトの臭いと闘わなければならないので不安です。


しょうがない大臣が辞職しましたが、選挙戦に迷惑にならないようにという、あさってしあさってな理由では、多くの人が納得しないと思います。でも、あの大臣の言い訳に、少し思い当たることもあります。


わたしは主に、母とその姉たちから原爆の悲惨を聞かされてきましたけど、恐ろしい話の後には必ずと言って良いほど「しかたなかけんね」という言葉がついていました。「恨んでもしょうがなかけん、とにかく生きて来たとよ」って。


国か軍か天皇か、アメリカかアメリカ兵か、ピカドンを造った博士たちか、はたまた神様か仏様か、誰をどう恨めばいいのかなんて、当時、乙女だった人たちには解らなかったようです。今でもその答えを出せない人は多いと思います。


せっせと軍需工場で働いて、竹槍の稽古をしていた元軍国少女たちですら、戦争の責任を感じていました。心のどこかに、原爆を落とされたのはしょうがなかった…と、思っていたようです。そうでも思わなければ、怒りの矛先をなんとか納めなければ、生きられなかったのじゃないかと思います。狂い死にしますよ、ずっと恨んで怒っていたら。


わたしは、ちょっとしたことで悪魔の毒毒オバタリアンになっちゃうんですけど、見たことも聞いたこともない地獄を体験し、生き延びた母たちは、恨み辛みを乗り越えて、ひたすら平和を願っていました。


世界のどこの子供達にも、あの体験をさせたくないと願うのは、地獄に生きた人のサトリだと思います。


庶民は、しょうがなかけん、ただひたすら「生きる」ということをしてきたのじゃないかと思いますが、国の代表者であるべき人間には軽々しく使って欲しくない言葉であります。大馬鹿者です。


そういう大馬鹿者がまた戦争を引き起こすのでしょう。ほんとにニンゲンはだめだ。イスカンダルになってしまえばいい。