天然神話

kyopin2007-08-09

なかよし


昨日一日ずっと冷やしたせいか、やっと腫れが治まってきました。ぢつわ、ちょっと恐怖でしたわ。ほっ。。このごろは、天然水だの、天然酵母だの、「天然」がさもヒトに優しいように言われますけど、フグ毒だって蜂毒だって天然です。無農薬栽培のジャガイモの芽は猛毒です。


天然水もすべてがカラダに宜しいワケじゃないでしょう。旅に出たら生水に気をつけろって、昔の人は言いました。


天然じゃない酵母って、まるで人が創ったみたいですけど、そんなハナシはまだ耳には入ってきません。つまりは天然と付こうが付くまいが、人が培養して、安定供給している酵母ではないかと…。「天然」とか「自然」という言葉にだまされちゃぁいけませんね。



今日はナガサキの日です。わたしの両親やその親、祖父母、兄弟姉妹、友人、知人が劫火に包まれた日です。もうそのほとんどがこの世の人ではありません。


運良く生きながらえて、わたしを生んでくれた人たちは、原爆が「落ちた」、「落ちてきた」と表現していました。まるで天然自然の災害であったかのように。


「落とされた」と言ってしまえば、落とした人のこと、落とした国のこと、落とされた原因を直視せねばなりません。自分たちの身におきた悲惨を、無意識に自分たちで騙していたのではないかしら。


原爆の慰霊碑に「あやまちはおかしませぬ」と刻まれています。その言葉の主語はなんなのかと言う人がいます。日本があやまちをおかしたから原爆が落とされたと読まれてしまうんですね。


広島の市長さんもおっしゃっていましたが、これは被爆したひとたちの哲学です。わたしは「サトリ」と言っています。


人のすることも天然自然のひとつである、人類の歴史とはこのように残酷なものである、それでももう、これでお終いにしよう、もうあやまちはくりかえしません、という強い宣言が、時間と無関心に薄められていってるようです。


父母祖父母、その周りの人たちが自分を騙すように「落ちてきた」と言っていた爆弾は、人の手で造られ、人の手で落とされたものでした。もしかしたら他の人の手で造られて、他の人の手で他の街や他の国に落とされたかもしれないものでした。


そしてこれからも、誰かの手によって誰かの頭上で爆裂する可能性のあるものです。また、誰かに「落ちてきた」と言わせないで欲しい、蜂刺されくらいでジタバタする弱虫の今日の思いです。


みんななかよしすればいいのに、こんなにかんたんなのに