人デ無シの哀歌

kyopin2007-10-01

あしゅらニャン爵


それにしても、なぜ人は人を殺すのかしら。そんな生き物って他にいませんよねぇ。ジョージ秋山の『アシュラ』は、食べるために人を殺していました。そんな理由を描かれてしまうとぐうの音も出ず、納得してしまいますが。


アシュラは人を食べ物だと思っているので、そりゃしょうがない。食べる目的がなくなってもアシュラは人を殺し続けますが、あれはいったいどんな意味があったのか、記憶がおぼろです。


永遠に発禁かと思ってましたが去年、復刊されたようです。キツイから、わたしはもう読まないですけど。
アシュラ (上) (幻冬舎文庫 (し-20-2))  アシュラ (下) (幻冬舎文庫 (し-20-3))



人なら誰でも、人を人で無いと思うことが出来るのでしょうか。認めたくはありませんけど、ある環境下に身を置くと、きっとそうなるんでしょうね。例えば、自分とは縁もゆかりもない残忍な殺人鬼、例えば鬼畜米英、例えば丸太などなど、人で無いモノたちを殺して来たのですから、きっとわたしもそうなのでしょう。


国家が国民に銃を向けるなんて昔からずっとあることで、国家が国民を見殺しにするのも日常茶飯。国が国民を殺すのだから、親方は弟子を殺すし、親は子を殺す。殺した側は、自分たちがヒトデナシだなんてことには気がつきません。


運良く、殺されも捨てられもしなかった子も、誰にも愛されることなく育ってしまえば、誰かを残虐に殺して遊び、何かを満たし、他からヒトデナシと呼ばれることになります。


そういえば、猫科の動物は子殺ししますね。あれは自分の遺伝子を残すために、まずは自分の身を守るのが先決という理由のようです。結局は人の殺人の理由もそれなのかも知れません。人とは思えぬ悪い人を排除抹消して、より良い国を創り、より良い遺伝子を残そうという。


もし、そんな本能があるのなら、わたしたちは理性を磨いて、それに負けてはならないと思うのですが、まだ猿ですからねぇ。