ニャリーゼのために

kyopin2009-12-30

ポーちゃん、ありがとう。


2月から書いてませんでした。その前も更新を怠りっぱなしでした。人と関わるのがしんどくて、仕事をこなすのがやっとの状態でここ二年ほどが経ちました。方々にご無沙汰、不義理をしっぱなしで、本当に本当にごめんなさい。


4月にポーちゃんを亡くしました。6月に一緒にお誕生日を迎えたかったのに、ポーちゃんはあれよあれよと弱っていって、ひとりでいってしまいました。ほんとによく頑張ってくれて、その日まで自力で椅子に跳び乗ってましたので、まさかその日に動かなくなってしまうなんて思えなくて、死に目に会えませんでした。


6月、わたしだけ誕生日を迎えたあと、脳梗塞に襲われました。少年のレッスンを終えて、椅子からたったらフラっとしたんです。あれ?って思いましたが、そのまま少年を送るため玄関を出て数十歩のところで手をふったら、なんだか振りにくい。歩くと右に傾いてるような気がします。少年に「わたし、傾いてない?」って聞いたら「うーうん、かたむいてないよー」って。


もう一度バイバイーイして少年を乗せた車を背に玄関まで歩く足取りが、一歩また一歩と、みるみる重くなってきます。あー、だめだこりゃ、大変だ、えらいこっちゃ、パニクるなきょしゃーん、オチツケ。。。玄関についたときには右足は引き摺ってました。


脳梗塞ってやつ?119しなきゃ。でも、ヨダレたれそう、、え?口がきけないかも?アエイウエオアオ→はえううへほはほ、、言えてない。119しても名前や住所を聞き取って貰えないかも。時計は17:40分。かかりつけの内科の診療時間内だ、電話しよう。判断は間違っていなくて、案の定、みるみるうちに発音しにくくなってきて、それでもなんとか伝えて、救急車を手配してもらいました。


救急車が来るまでに、保険証が入れてあるお財布を持って、携帯を持って、MACを落として(右手でマウスが動かせない。でも左手で操作するのが上手なワタシ、これからずっとそうなるのか?)、トイレをすませて(ひとりで出来るのもこれが最後か?、ウワーン)、鍵を持って。玄関の椅子に腰掛けて待っている時間の長く感じられたことったら、もう。


どうしようどうしよう、、死にそうな雰囲気はないわ。半身不随になるのだわ。嗚呼、わたしのお気楽人生もこれでお仕舞い、ぢえんど。左手のピアニストなんて、わたしには無理。両手使ってやっとのワタシ。それよりなによりここ1−2年、大切な人達に不義理したまま、うまく口が聞けなくなってしまうなんて最悪だわ。


後悔の走馬灯をぐるぐる回しているうちに、救急車が来てくれて、自覚30分後には救急病棟のベッドに寝かされていたのでした。 


あまりご心配をかけるのも良くないので結論を申しますと、半身不随にはならずにすみました。今も、両手を使って書いてます。ピアノのテクニックは随分落ちました。


入院中、リハビリ室のコルグを弾かせてもらいました。手指の動きはひどく悪く、脳からの指令が伝わりにくくてミスタッチだらけ。速く弾けない、たくさんの音を掴めない、考えながら(作りながら)弾けない、メロディーが思い出せない、コードも思い出せない。動きの悪い方の手に集中するともう一方の手も動かない。でも弾けてる。ヘタだけど弾けてる。小学生くらいは弾けてる。


点滴に繋がれた手でおそるおそる音をだしていると、リハビリに励む患者さんたちが周りにわらわら集まってきて、拍手喝采してくださるんです。自分の親くらいの世代の方々に囲まれて歌謡曲を弾けば、一緒に歌ってくださるんです。上手上手って褒めてくださるんです。あれ弾いて、これ弾いてってリクエストされるんです。


エリーゼを弾けば、「私の娘もそれを弾いてたわぁ、懐かしいわぁっ」て涙を浮かべて聴いてくださるんです。ああ、こんなに喜んでもらえるのなら、これでいいわ。うまく弾けなくてもいい。これくらい弾ければ充分。半身不随を免れたんだもん、現代医学と救急の医師と看護師さんたちと、日本の救急医療制度と救急隊員さんたちと、かかりつけの先生と、神様ご先祖様とポーちゃんの御加護に感謝しました。




退院した次の日に、記念撮影しました。ざんばら髪ノーメイク、病み上がりの酷い顔が映っちゃってますけど公開します。


一緒に映ってるコは、入院先の近所で拾ってきたマリアちゃんです。わたしが命拾いをしているときに、夫は猫拾いをしていたのです。新年は脳梗塞ネタで少し書こうかと思ってます、マリアネタもおもろいので乞うご期待。。。。って、誰かいますか。