怒りの日

フィギュアスケート女子で安藤美姫ちゃんが優勝、とってもおめでたいニュースで、元気が出た方も多かったことと思います。日本人として、また地元名古屋人として、私も嬉しいです。美姫ちゃんの溢れていた涙も、被災された人々への哀悼の気持ちも偽りのない、心からのものだったと思います。

でも、アンコールの「レクイエム」は、あれはいけなかったと思います。レクイエム=鎮魂歌といえば、言葉上はふさわしいように思われますけど、その意味合いは随分ちがいます。

ウィキペデイアより引用します

涙の日 (Lacrimosa)



Lacrimosa dies illa,
qua resurget ex favilla
judicandus homo reus:

Huic ergo parce Deus.
pie Jesu Domine,
Dona eis requiem. Amen.

涙の日、その日は
罪ある者が裁きを受けるために
灰の中からよみがえる日です。

神よ、この者をお許しください。
慈悲深き主、イエス
彼らに安息をお与えください。アーメン。


怒りの日 (Dies iræ)


Dies iræ, dies illa
solvet sæclum in favilla:
teste David cum Sibylla

Quantus tremor est futurus,
quando judex est venturus,
cuncta stricte discussurus.

怒りの日、その日は
ダビデとシビラの預言のとおり
世界が灰燼に帰す日です。

審判者があらわれて
すべてが厳しく裁かれるとき
その恐ろしさはどれほどでしょうか。


こんなものを捧げられては敵わないです。クリスチャンならいざしらず、あの日、無残に死んでいった人々は罪人ではありません。私たち多くの日本人は、原罪という考えを持っていません。億万歩譲って、地震国に住んでいることが罪だとしても、生きる場を選べない子どもたちには全く罪はありません。

モーツァルトは、このレクイエムをとても芝居がかった大袈裟なものに仕上げたと、私は思っています。宗教曲というよりはエンタテイメントではないでしょうか。安藤美姫ちゃんも、そのつもりで十字を切る振り付けをしているのではないでしょうか。

以前に観たとき、敬虔なクリスチャンは、あの演技をどう感じるのだろうと思ったものでしたが、エンタテイメントなら、それはそれとして楽しめるのかも知れません。

でも、今日のは違いはしないかと、そう思ったのでした。私は、ディエスイレ蒐集家(へなちょこ)ですので、過剰反応かも知れません。

かねてより疑っていましたが、やっぱりフィギュアスケートって、効果的な音楽(先人の芸術)をちょん切ってくっつけて、ちょちょいと良いとこ取りの借り物で、芸術ごっこに走り過ぎているようです。

純粋なスポーツに戻って欲しいです。そうすれば、美姫ちゃんの哀悼の意はもっともっと深く伝わったのではないかと思います。