一ヶ月、空けてしまいました。この日記が止まった6月24日は、2年目の脳梗塞記念日でした。その時のことの備忘録とでもしようとおもっていましたが、ゆえあって今日まで書けないでいました。縁に導かれてキィを叩きます。


発作が起こった夕刻、救急車に運ばれて着いた先の救急治療室のベッドの上で、私はたぶん正気でした。正気だと思っていました。ずっと意識もしっかりしていました。そう思っていました。

そう、意識がある時しか意識はないので、意識がない時は意識がないという自覚はないわけです。だから、意識のある自分が意識があると思っているだけなんですね。

時々、名前を呼ばれて、生年月日を訊かれたり、世間話のような感じで話しかけられたりしました。それにちゃんと答えていました。答えていたつもりでした。

何度も生年月日を訊かれるということは、意識を失いかけたり、失っていたのだと思います、きっと。後日、その夜のことを思い返すと、ところどころ記憶が繋がらないところがありました。

記憶の欠落より不思議なことがありました。救急治療室のベッドに寝かされている時、ふと見たら、河童が私の周りをうろついていて、私の足の裏を触るのです。「ごめんねぇ〜ちょっと痛いかなぁ?」って、何かの道具で足の裏を突っついてるようだけど、何も感じません。

河童はその後も、くりくりのまん丸目で私を覗き込んで、「目をつぶって、前ナラエして10数えてくださぁい」なんて言ったりします。その声が物凄く遠くから聞こえたり、耳元で囁かれたりで遠近感が気色悪いったらありません。

白衣を着た河童は、大きなお口でニカっと笑ったり、ぼさぼさの髪(緑色だったり、てっぺんがお皿だったりはしない)を金田一耕助のようにボリボリ掻きながら、「右半身はどうですかぁ?」って訊くので、「宇宙から帰ってきたみたい」って答えると、またまた大きなお口を開て、「あはははぁ、宇宙ですかぁ? すごく重たいんですね」って、大笑いをする。笑うな河童!。

まぁ、私も宇宙から帰ってきたことはないので「行ったことはないですけどね」って言うと、白衣をハタハタさせながら、「ですよねぇ、、言葉がはっきりしてきましたね」とかなんとか言いながら、周りをうろうろ、いっちょまえに聴診器なんか首にかけて、河童のクセに。

でも、この河童、悪意はなさそう、それどころか私の味方みたい。私を助けようとしてくれてるみたい。

私が受けたのは、t-PA 血栓溶解療法というものでした。血管を拡げて血栓を洗い流すという画期的な治療法。患者はベッドに寝て点滴を受けるだけで、痛くも痒くもない治療です。

次の日の朝、目が覚めて、ベッドの頭に吊るしてある主治医の名前を見て大爆笑。川端ですって。朝の回診に来てくださった先生は人間でした。でも非常に河童っぽい愛嬌のある若い男性。そんなこんなの情報が綯い交ぜになって幻覚が起こったのでしょうか。拡張され洗われている私の脳の血管が脳細胞にいたずらをしたのでしょうか。

この療法、おかしなものを観る副作用があるのかしら。でも、先生が河童に見えただけで、他のスタッフはみな人間で、河童の世界に迷い込んだというようなファンタジではありませんでした。


病室のベッドから自宅のほうを臨む


今年に入ってからぼつぼつと書いてきた閃輝暗点とその周辺のことが中断しています。今日は河童忌。閃輝暗点仲間の芥川も河童を観たのかしら。今朝、ふと目にした「河童忌」の文字に迪びかれて、やっと日記書きに復帰できそうです。

閃輝暗点、偏頭痛、てんかん、統合失調、幻覚剤、麻薬、麻酔、、、この世にないはずの、おかしなものを観る原因って、みなお隣同士みたいです。また、少しずつ考えてみたいと思います。


みぃみぃが7月2日の未明に亡くなりました。みぃみぃのことも書きたいのですが、可愛い写真を探していると涙があふれちゃって。

気配もすっかり失せて、そろそろ書けそうですが、今夜はとりあえず、河童話だけにとどめます。

ぼちぼち行きますので、覗いてくださってる方がいらっしゃいましたら、また、声をかけてください。よろしくお願いします。