長崎忌

【グロ話注意】

母です。この写真の12年前、十六歳の時に、爆心地から1.5kmあたりで被爆しました。そして運良く生き延びて私を産んでくれました。


先日、竹輪の天ぷらを揚げました。私はその天ぷらを随分大人になるまで知りませんでした。何故ならば、母はそれを揚げることが出来なかったからです。

私も母もまだ若かった頃、お弁当かなにかでその美味しさを知った私は家でさっそく揚げてみました。母は「それを観ると原爆を思い出す」と言いました。

地獄の火に焼かれて、まるで蒸発するように即死した人。真っ黒い炭になって亡くなった人。火膨れで皮膚が剥がれて彷徨いながら亡くなった人。

そして揚げ上がりの竹輪のように、ぷーっとまん丸く膨れ上がって死んでいった人。瓦礫のなかに腰を下ろし横たわることもできないその人達の皮膚は、プスプスとはじけて血や水のようなものを吹き出していたそうです。

そして川に入ったとたんにしゅ〜んと萎んで亡くなっていったのだそうです。

その様子が竹輪の天ぷらにそっくりだと、母は教えてくれたのでした。

話を聞いた後、私もしばらくは竹輪の天ぷらが苦手になりましたが、いつしかまた、美味しくいただけるようになりました。現金なものです。目の前の幸せが過去の惨事に勝るのです。みんな、忘れていくのです。


これは、その日の母の視野かしら、それとも父かしら。真ん中にいるのは祖父と2歳の私です。平和祈念像の真似をして無邪気にふざけています。私はまだそのことを知らなくて、この像は力道山だと思っていました。



 子を産んでいいものかしらねぇあなた 閃光浴びた父母の青春 /京