kyopin2011-03-06


ゴッホの椅子に眠る猫
迷猫美術館さんより拝借


名古屋市美術館ゴッホ展へ行ってきました。「こうして私はゴッホになった」というテーマでしたので、暗い色調の写実の時代とミレーの模写から始まって、サンレミの療養所時代の作品まで、影響を受けた同時代の画家たちの作品を交えながら時代を追う展覧会でした。
とにかく大変な混雑で、なかなか作品を味わうことが難しくて、そのテーマをお勉強させてもらった感が強かったです。だんだんゴッホになっていく過程は面白く、時代を追うごとに作品からは狂気が漂いはじめるのに、なぜか、知っているゴッホが見えてくると安堵感みたいなものが湧いてくるのが不思議でした。

ゴッホの病気についてはいろいろ研究されていると思いますが、私がとても閃輝暗点を感じる作品としてはこれ。


糸杉と星月夜


そもそも、モザイク風の点描は閃輝暗点に似ているのですが、この作品からは、閃輝暗点者の描いた下の絵のような、視界の断裂が観られますし、ずっと観ているとだんだん人の顔に見えてきます。それに閃輝暗点や眩暈が発動しそうになります。頭痛持ちの人は凝視しないほうがよさそう。

清澤眼科医院通信さんより引用


星月夜

同じテーマのこちらは、閃輝暗点もですけど、眩暈のイメージも強いです。私もぐるぐる眩暈とふわふわ眩暈とのどちらも経験がありますので、これはよく解ります。「ゴッホとメニエール病」人生の謎學さんの考察に深く頷きます。


ゴッホが耳を落としてしまったのは、耐えられない幻聴か耳鳴りがあったからだと考えられると思います。その原因が統合失調なのかメニエールなのか、頭痛なのか、その他の疾患からなのかは研究者の考察に頼る以外ありません。

閃輝暗点にも耳鳴りや幻聴が伴うものがあります。私の場合は耳鳴りなのか、聞こえるような感覚があるだけなのか(実際、閃輝暗点は幻視ですから、それと同じ意味での幻聴)説明しがたいです。ただ、耳鳴りは閃輝暗点時だけではないので、私の場合もまた、別の原因かも知れません。

私は、若い頃に病的な幻聴も経験しています。宇宙人がやって来て耳の中で囁くの(…と、なんの根拠もなく確信する)。でもそれは一回きりでしたから、精神科にお世話にはならず仕舞いで、一応、普通に(たぶん)社会生活が営めています。この先、老化が引き金になってまた発動しないことを祈るばかりです。。

私は母によく「デキソコナイ」って言われましたが、人はみな出来損ないなんだと思います。母も父も相当なデキソコナイでしたし。

たまぁに、ものすごく完成度の高い人は居るのでしょうけど、誰もみな、脳に小さなバグを抱えているのじゃないかしら。母の心無い「デキソコナイ」という言葉に傷ついたこともありましたが、今では嫌いな言葉ではないです。味のある良い言葉のようにも思えます。

うまいこと出来損なうと素晴らしい芸術家や発明家になれるのじゃないかしら。まぁ、残念な人生ではあります(TT)