【閲覧注意】蛾だと思うのですが


こぉんな、もこもこの羊雲の下、窓の手すりに妙な虫が。蛾だと思うのですけど、耳とひょっとこみたいな口があるの。




左から

真上から見るとカメムシっぽい

拡大


へんてこなの〜。なんか秋らしく、物思いに耽ってるみたいで可愛い。ミミズクガとでもしておこう。。でも、本名はなんというのかしら?ちょと気になるのであります。


追記:
まんまでした。ミミヅクカメムシ
岐阜大学教育学部理科教育講座(地学)さん
http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/kyo/seibutsu/doubutsu/05kamemushi/yokobai/mimizuku/

うちの斑猫が

哀れであどけなかった長田チビラくん (こちらも)は、2歳半くらいになり、大猫に育ちました。そしてとうとう王の座(我が家で一番高い場所)に登り、モフをこれでもかと大きく膨らませ、あたりを睥睨しております。


いつもは黒田さんにくっついて甘えてばかりなのに。






黒ちゃんが秋刀魚を食べ過ぎてちょっと体調を崩した隙にこの暴挙です。


私も実は、とうとうかと覚悟をしたのでした。この頃は箱や籠の中ばっかりですから…



チビさんはこう見えて案外やさしいです。少しずつ衰えていく黒田さんを虐めたりはしません。大抵はこうしてお腹を見せてだらだらと毎日を過ごしています。



来客があれば、ずっと納戸で息を殺して隠れている、そんな気の小さい斑猫です。

長崎忌

【グロ話注意】

母です。この写真の12年前、十六歳の時に、爆心地から1.5kmあたりで被爆しました。そして運良く生き延びて私を産んでくれました。


先日、竹輪の天ぷらを揚げました。私はその天ぷらを随分大人になるまで知りませんでした。何故ならば、母はそれを揚げることが出来なかったからです。

私も母もまだ若かった頃、お弁当かなにかでその美味しさを知った私は家でさっそく揚げてみました。母は「それを観ると原爆を思い出す」と言いました。

地獄の火に焼かれて、まるで蒸発するように即死した人。真っ黒い炭になって亡くなった人。火膨れで皮膚が剥がれて彷徨いながら亡くなった人。

そして揚げ上がりの竹輪のように、ぷーっとまん丸く膨れ上がって死んでいった人。瓦礫のなかに腰を下ろし横たわることもできないその人達の皮膚は、プスプスとはじけて血や水のようなものを吹き出していたそうです。

そして川に入ったとたんにしゅ〜んと萎んで亡くなっていったのだそうです。

その様子が竹輪の天ぷらにそっくりだと、母は教えてくれたのでした。

話を聞いた後、私もしばらくは竹輪の天ぷらが苦手になりましたが、いつしかまた、美味しくいただけるようになりました。現金なものです。目の前の幸せが過去の惨事に勝るのです。みんな、忘れていくのです。


これは、その日の母の視野かしら、それとも父かしら。真ん中にいるのは祖父と2歳の私です。平和祈念像の真似をして無邪気にふざけています。私はまだそのことを知らなくて、この像は力道山だと思っていました。



 子を産んでいいものかしらねぇあなた 閃光浴びた父母の青春 /京

閃輝暗展(音楽編その5

ラヴェル組曲『鏡』より「鐘の谷」

あかねさす真昼のパリの屋根の谷に教会の鐘が鳴り渡るその時、どこぞの屋根裏の窓にでも反射する光が引き金になったか、閃輝暗点が始まる。

窓も扉もカーテンもブラインドも全て締め、耳目を塞いで寝床に潜り込むが、鐘の音は幾重にも響き合い、倍音倍音を重ね、頭痛持ちの耳の奥へ奥へと入り込んでくる。視野いっぱいに拡がりつつあるWを連ねた幻視の谷は、現実の鐘の音に共振し歪み滲む。激痛に翻弄される、ぬばたまの白昼の訪れである。

悲しみと苦しみと恐怖に震え泣きながら、深く暗い谷底へ吸い込まれるように堕ちてゆく。部屋には彼ひとり。パリの屋根の下に棲む人々は誰ひとりも彼の孤独を知らない。寄り添ってくれる犬猫さえ居ない。


ラヴェル本人による演奏


閃輝暗点音楽会ラヴェル編、組曲『鏡』の五曲全てを観てきました。頭の中がギラギラです。

ラヴェルが頭痛持ちで脳の病気で亡くなったことは有名な話なのですが、閃輝暗点を持っていたのかどうかは、私はまだ確認していません。

しかし、一旦それを疑ってからは、もうどれもこれもそう聴こえてしまいます。とくにこの組曲に関しては感覚的には間違いないと思いました。

ラヴェル本人はこれが何故『鏡』なのかを語ってないようなのですが、「彼の心の鏡に映った風景なのであろう」なんてところに多くの解説者が着地していると思います。

私はこの曲たちに、ひびの入った鏡、割れ鏡、その破片で作られたモザイク、合わせ鏡、曇った鏡、水鏡をはっきりと見聴きしました。それらに映った世界、それらで描かれた幻影が音によって表現されていると確信しました。だからこそ文字通り『鏡』が総題であるのだと。

クープランの墓」や「夜のガスパール」などなど、また偏った耳で聴き直してみようと思います。


シャガールの「パリの屋根の上」

生き物たちが逆Cの字型を描いた閃輝暗点の構図かと思います。祝福の鐘が鳴り響いていそう。


ピカソの「ロワイアンのカフェ」

パリではありませんが、窓から見下ろした風景なのでしょう、視界に断裂が見られ、閃輝暗点のギザギザが中央右あたりに黒っぽい逆C型で、その上には直線で蜃気楼の谷山のように浮かんでいます。

浜口陽三氏の『パリの屋根』ラヴェルの暗い谷のイメージが有るかもしれません。

閃輝暗展(音楽編その4

ラヴェル組曲『鏡』より「道化師の朝の歌」

人により、閃輝暗点やその後の偏頭痛が睡眠中に始まることがあるそうです。この曲はそれではないかと思います。偏頭痛の痛みによって目覚める絶望を、ラヴェルは自嘲的に描いたのではないかと。

脈動のようなリズムと狂おしいスペインのメロディ。ピアニストを悩ます執拗な単音連打と重音のグリッサンドがこの曲からのメッセージです。


アンドレ・ラプランの演奏

あさまだき眠れる脳を震わす脈動。悪魔のいたぶりに眠りは破られる。目を開けてしまえばあの拷問が始まっていることを確実に知る。

残酷な処刑はすでに始まっており、否も応もなく彼は瞼を開く。目覚めても悪夢。眼球の奥で始まる大工事。悪魔の手がそこに発破をしかけ、ニヤつきながら彼を見る。弓手に導火線、馬手にはマッチ。

彼は頭の中に悪魔を宿す自身を呪い、絶望し、自嘲する。悪魔は自分の化身か?我が身は頭蓋という名の宮廷に飼われる道化師か?と。

朝を告げる喇叭は間延びし、歪み、陽炎のように揺れる。なんという哀れな道化師かと彼を見る彼がもうひとり在る。道化師と悪魔は光と陰か、寸分も違わぬタイミングで寄り添い踊っている。


この曲はラヴェル自身によるオーケストラアレンジが有名ですので、それも。
カラヤン指揮 パリ管弦楽団



出だしが切れていてとても残念なのですが、とても偏頭痛的な素晴らしい演奏をもうひとつ。
リーズ・ドゥ・ラ・サール




ピカソ:枕の上の少女
ショッキングな黄金色の枕と、その縁取りの房のギザギザが閃輝暗点に苛まれていることの象徴に見える。少女の顔は青ざめて、2つの瞳の焦点は定まらず。顔の半分を覆う蒼い三日月や、もっと昏い青の円も閃輝暗点のモチーフであろうかと。

閃輝暗展(音楽編その3

ラヴェル組曲『鏡』は5曲で構成されています。順が逆になりましたが、今回は「蛾」と「海原の小舟」を。

1.蛾(Noctuelles)
2.悲しげな鳥たち(Oiseaux tristes)
3.海原の小舟(Une barque sur l'océan)
4.道化師の朝の歌(Alborada del gracioso)
5.鐘の谷(La vallée des cloches)


和訳は色々ありますが大同小異、直訳的です。閃輝暗点者にとっては思い当たるフシだらけです。
私の閃輝暗点のキィワード(11/1/23付)より

四角と三角で構成されたドーナッツ
ギザギザ、ジグザク
ぎらぎら、じらじら
輪、弧、球、螺旋
不定

暗黒、暗闇
プレデター光学迷彩

モザイク
ひび割れた硝子
雲母
水銀
水の底から見上げた太陽
階段、梯子
光の屈折、虹、プリズム、
反射
太陽、月、星
銀河、星雲
瞳、虹彩
プラチナ
車輪、歯車
不思議の国のアリス鏡の国のアリス
地下の国のアリス、歪みの国のアリス
眼に観える音、観音、観世音
可聴範囲を超えた音


ラヴェル組曲『鏡』より「蛾」

ぬばたまの眼裏を無窮動に飛び回る銀色の蛾。翅を振るわせ鱗粉を撒き散らす。瞼を開ければそこもまた、都会の闇。消えかかった街灯から飾り窓の漏れ明かりへ、一夜の糧を求めて彷徨う夜の蝶たち。

ジャン=フィリップ・コラールの演奏

譜面を見れば、私のキィワード「三角と四角で構成された」始まりです。左手の三連音符と右手の4連(4つの16分音符)がキラキラと蠢きながら弧を描いてゆきます。
1'15"あたりでlento(遅く)になってからは暗点部分、割と広い範囲のもやもやした闇に時折、銀色の鱗粉が輝きます。そしてまた三角と四角の鏡の破片のような煌めきが戻って、視界の隅へ消えていきます。


ラヴェル組曲『鏡』より「海原の小舟」


サンソンフランソワの演奏

わだつみの底いも知れぬ大洋の波に弄ばれる小舟。海原に星が降り注ぎ、波に見え隠れする小舟は三日月の形。三日月はシーソーのように舳先を上げたり艫を上げたり。波の下には人魚たち。人魚のくねる肢体も三日月。鱗は虹色、その吐息は銀の泡。そして空にも金の三日月。

と、そこまでは普通の感想、想像。これが閃輝暗点者の眼にシフトを変えると、その連想の全てが、ひびの入った鏡に映しだされた幻影になります。海原はオーロラの如き曲線。幾重にも重なってぎらぎらと湧いてくる錯視の図形のような無限、夢幻、




ダリ:不思議の国のアリス「涙の海」

閃輝暗展(音楽編その2

ラヴェル作曲:組曲『鏡』より「悲しき鳥」


迷いの森の暗闇で、鳥はそこから抜け出すすべを持たず、ただただ悲しく泣きながら闇雲に右往左往するばかり。
まるで、人麿の歌のような孤独。周りの誰にも観えない幻を、ひとり暗闇で視る絶対の孤独。

 あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む 

ラヴェル本人の演奏

私の閃輝暗点(11/1/22付)より

まず焦点に、針の先が太陽を反射しているようなプラチナ色の閃光がでます。その極小の光は少しずつ大きくなりジラジラと輝き始めます。さらに域を広げながら陽炎のように揺らめき、どんどん大きくなってドーナッツ型になり、さらにゆっくり大きく拡がって視界を妨げます。

ドーナッツの穴の中央は真っ黒か深紫か、反対色の黄色も含まれているような、チカチカと銀色の星が瞬いているような、太陽を直視してしまった時の幻惑、残像のようです。

しかし、ドーナッツが大きくなるにつれて幻惑の穴も大きくなり、晴れ上がってきて現実の景色を判別できるようになりますが、穴の真ん中には真っ暗い点が残ります。

ドーナッツの円はどんどん拡がっていきます。大きくなるほどに、真円ではなく不定形な円というか輪になっていきます。輪は四角と三角で構成されているようで、プレデター光学迷彩のような透明感のある銀色っぽい輝きを放っています。

鏡のモザイク、水銀の膜、ひび割れた硝子、雲母、ブラウン管に水滴がついた時の屈折、水の底から見上げた太陽、そのような光です。

輪を構成する四角と三角の輪郭はギラギラと滲んでいるので視界を遮りますが、輪の外と、輪の内(穴)の暗点以外の部分は見えています。ギザギザの光の輪はどんどん拡がり、数十分後には視界から出て行き、閃輝暗点は終わります。

ラヴェル組曲『鏡』は5曲で構成されています。その2曲めの「悲しき鳥」は、上に引用した私の閃輝暗点とほぼ同じ物のように、私には聴こえます。

冒頭、針の先ほどのキラリから始まって光の輪が拡がり、視界の縁から抜けて行くその時間の経過がそのまま音楽に成っているとしか、もう思えません。

私の閃輝暗点には羽や鳥のイメージはありませんが、芥川が『歯車』の中で描写しています。

三十分ばかりたつた後、僕は僕の二階に仰向けになり、ぢつと目をつぶつたまま、烈しい頭痛をこらへてゐた。すると僕の瞼(旧字体/まぶた)の裏に銀色の羽根を鱗(うろこ)のやうに畳んだ翼が一つ見えはじめた。それは実際網膜の上にはつきりと映つてゐるものだつた。僕は目をあいて天井を見上げ、勿論何も天井にはそんなもののないことを確めた上、もう一度目をつぶることにした。しかしやはり銀色の翼はちやんと暗い中に映つてゐた。

嗚呼、間違いなくこれだって思うのです。

また、鳥のイメージとしてはヒルデガルト・フォン・ビンゲンの幻視(閃輝暗点のみでは無いかもしれませんが…)が本人が絵師に描かせています。いかにも中世の宗教家らしい絵柄になっているので、芥川の文学とはやや離れますが、私の閃輝暗点とは構造的には似ています。私はそれを鳥の羽とは形容しないだけで。

こちらからお借りしました。