私が7歳の時、名古屋に引っ越して来た日も雪でした。寝台特急さくら号が関門海峡を抜けて本州に入った頃、うっすらと雪が積もっていたような記憶があります。

いや、目が覚めた頃、つまり名古屋の西にたどり着いた頃だったのかも知れません。街のどこからでもすぐそこに山の斜面が観える長崎とは違い、どこまでも平野が広がっている殺風景な雪景色でした。

ああ、でも、大名古屋ビルヂンクを見上げた時、雪が積もっていた覚えがありません。ただ、こんなふうに雪が舞って白く霞んでいたような……50年前の記憶ですもの、そんなものです。

素晴らしい写真を見つけましたので、ほんとにほんとに、さよなら、大名古屋ビルヂングとして貼っておきます。


msn産経フォトよりお借りしました。

まだちょっと名残惜しいので

大名古屋ビルヂングは昨日、閉館したようです。台風が来てしまったけど、セレモニーはあったのかしら。昨日、記事を書いたら、父母のことや、長崎のことや、その時代の名古屋のことや、なんやらかんやら思い出されて、朝まで眠れませんでした。

それで、昔のアルバムを開いてみました。父はカメラが趣味で、自分で焼きまわしもしていたので、写真は沢山あるのですが、大名古屋ビルヂングのはちっともです。

65年に完全な形に竣工されて内覧会が有ったそうですが、私はそれを覚えていません。お別れに同行してくれた友人Hちゃんからの情報です。彼女のお父上も偶然、このビルの勤務だったのです。

その時なのか、父の同僚が長崎からいらした時の写真が残っていました。大名古屋ビルを背にそのおじさんと記念写真? ロータリーには噴水があります。おじさんの後ろに写るサラリーマンのネクタイの細いこと。後ろを走るのは日産コニーとか? 私の顔が全然違う…生涯でこの頃だけの顔です。


全景がないのが残念です。この森永のと、右手に三菱電機の六面体か八面体かのネオンサインがやっぱり私のデフォルト。ビルヂングの「ヂ」が切れちゃってるのも残念残念。

テンプターズの森永のCM

テンプターズが乗っかって回ってるのは東京銀座のですけど、全く同じ物のようです。


名古屋祭りです。大名古屋ビルのオフィスの窓から観た名古屋ビルの角です。(「名古屋ビル」の向かいに建てるビルに「大名古屋」という名を付けるなんて当てつけがましいですねぇ、、財閥系のいやらしさを感じます)


ラテンクォーターの看板が写ってます。ザ・ピーナッツもここから出てきたという名門ライブハウス?です。


その夜なのかしら、大名古屋ビルから駅前(笹島方向)を撮った夜景です。名鉄百貨店の向こう側が空っぽですねぇ。勿論、ナナちゃん突っ立つまでにはまだ6-7年待たねばなりません。



東京駅が素晴らしく復元されたとか。さて、名古屋駅前はどうなるのでしょう。大名古屋ビル跡にできる高層ビルはどうやら新丸ビルのそっくりさんみたいなんですけど。大名古屋ビルの美しいフォルムを活かすことは、いまさら無理なのかしら。大理石も廃棄されてしまうのかしら。もったいないこと。


追加:10/5
とっても良い写真をこちらで見つけたので、記念に貼っておきます。あんなに威張ったような偉そうだったビルが、なんだかケナゲに見えます。




ダムログ :: damlog
さん、この方はプロかしら?素晴らしい写真集になってます。私は裏側のフォルムも大好きだったのですが撮り損なってしまったので、綺麗に撮し残していただいて嬉しいです。


追加:10/6
なんという美しい裏側。
KIMURA KATSUMI photograph 『 写 欲 』
さん。


建築家さんの目から。
西日本建築探偵団ブログ
さん。


追加:10/7
鉄ちゃんの目から。懐かしい写真がたくさん。花電車も。

「はなぶさ」に集まる仲間たち
さん。


追加:14/1/20
グラフィックデザイナーのひげフレディさんの目から。うっかり見落としてしまう小さな意匠も美しい写真に残してくださってます。
Are You Fredie ?〜 A Piece of LIFE 〜さん。


追加:14/1/27
昭和40年 名古屋市制作のフィルム(30分弱の貴重な映像の初めと終わりに森永の回転広告が映ります)

さよなら大名古屋ビルヂング


三菱のビルなのにHITACHIのモニター……そういえば我が家の最初のTVも日立だったっけ…


大名古屋ビルヂングが高層ビルに建て替えられると初めて耳にした時には、ああ、とうとうその日がやって来たのねぇ、、くらいで、さほどのこともありませんでした。しかし、いざその日が近づいてきたら、さよならをしに、最後にもう一度その胎内に入りに行かずにはいられなくなりまして、先週、行って来ました。

私が長崎から名古屋にやって来たのは父の転勤のためでした。その転勤先はこのビル。まず最初に正面部分が竣工した1962年に父が単身赴任、その半年後、私は名古屋駅に降り立ち、その立派なビルを見上げたのでした。

寝台特急さくら号は早朝に名古屋に着きましたから、まずはビルの裏面の香取旅館に入り朝食を取りました。「あらぁ、名古屋の朝ご飯にはお汁粉が付くとねぇ!」って母が驚いて覗きこんだお椀の中は赤だしであり、恐ろしく塩っぱかったのが忘れられません。…と、いうわけで今年、大名古屋ビルヂングの年齢と私の名古屋歴は同じ50年です。

青い窓が爽やかな威風堂々の姿と、大理石の内装の贅沢さがその後の時代の象徴でした。初めて味噌煮込みうどんを食べたのもここの山本屋さん、なんだかハイカラな食品はここの明治屋。レコードや楽譜を買うのは玉音堂、カラー写真の現像はダイヤモンドカメラ、信忠閣の酢豚や玉蜀黍スープ、立田埜の白玉の美味しかったこと。

オープンしたてのビヤガーデンではエレキバンドをバックにミニスカートのゴーゴーガールが踊っていました。キッチンワイキキのハンバーグとスナイスという名のアイスも美味しかったぁ(いや、それはマイアミだったか?)。割烹竜むらの上品なうな重。喫茶ツルの苦い珈琲の味も、何十年ぶりに思い出します。60年代、このビルの地下と1Fは私のテリトリの相当な部分を占めていました。

この廊下の突き当りが、ある時代までは名古屋で一番豪華で清潔な公衆トイレでした。

ある大雪のクリスマス、充分すぎるほど大人になってた私は、この近くのホテルでピアノ弾きをしていました。休憩室の窓から外を眺めると、随分下に大名古屋ビルが見えていました。老いていく父を見下ろすようでなんか切なかったです。あんなに豪華で立派だった大名古屋ビルがこぢんまりとしていて、みるみるうちに雪に掻き消されていって。

あの大理石のぐるぐる階段やエレベータホールで懸命にアンモナイトを探していた頃に戻りたいなぁ。エレべータのドアが開くと、スーダラ社員の父がBG(ビジネスガール、娼婦の意味であることが発覚後、OLと呼称されるようになったらしい)と呼ばれていたミニスカートのお姉さんたちを引き連れて鼻の下を伸ばしていた頃に。そしてそれを見て不機嫌になる母もまたそれなりに若く綺麗だった頃に。





この階段を使えば戻れそうな気がしたけど、やっぱり無理でした。でも、見に行って良かったです。さよなら大名古屋ビルヂング



ロンドンの新しい塔

ロンドンオリンピックも明日でお仕舞い。開会式を見逃してしまったので閉会式は観たいなって思ってます。

それにしても日本の女子が元気で爽やかで強くて美しかったです。さきほどもバレーボールが銅メダルを獲るところを観ました。中国戦も素晴らしかったし、いいものが観られて良かったです。

嗚呼でもでも、もう観られなくなるのかと思うと寂しいものがひとつ。
スタジアムの隣に建てられたこのオービットタワーです。



ひと目観たその日から虜。素敵なあの人にしか見えなくなりました。あの声で呼ばれるようで…こんなに巨大なこの人に会えなくなるなんて、寂しすぎる。



            



追記:
8/1から、とうとうはてなダイアリーにも広告が掲載されるようになった。無料で使ってる人は消せない仕様だそうだ。CMのない美しい仕様が嬉しかったのにとても残念。↓

追記:その2(10/1)
広告は最新の記事のみに付くみたいです。昨夜、久しぶりにUPして気づきました。うーん、これなら我慢できるかもです。でもあまり変な広告ならやっぱりイヤですけど…。

ひとりひとりまたひとり

聴き倒したなんてことはありませんが、ジョン・ロードは私にとって大きな名前のひとつでした。やっぱりこれかなぁ、ひとつ選ぶとしたら。

まだ行き先が決まらないような、試行錯誤のような、ちょいとおヘタだったりして初々しくて。当時大好きだったベートーヴェンの7番の二楽章がちょこっと聴こえてきたりして楽しいアルバム。合掌。



同じ日、桑名正博さんのニュースも。母と同じ病です。

あの日、担当の若い先生から、明日かもしれないし、一年後、十年後かも知れませんと宣告されました。脳の一番奥深いところなので手術はできませんと。それでも一日でも長く命を延ばすのが僕らの仕事ですと。

目を覚ますことはありませんかと尋ねたら、あるかもしれないが身体も動かないし口もきけませんとのことでしたから、私はひたすら、目を覚ましませんように、静かに、苦しまずに、悲しまずに、あちらへ行けますようにとそればかり祈っていました。

悪い死に方じゃないとは思いますけど、やっぱり、もう一度微笑んでくれないかなとも思いました。親の眼差しは親だけの眼差しだもの。それを受けることの出来た人生で良かったと思いました。

いつも誰かがどこかで大切な人とお別れしているんですね。

エクスカリバー清盛

源平の当主の一騎打ちは、まぁ、あの時代だからあるのかなぁと思えばいいけど、周りに誰もいないってどういうことよ。。

子供の喧嘩じゃあるまいし、エクスカリバー振り回しといて、とどめを刺さないってどういうことよ。なぜそんなシーンを書くのだ。史実から言っても義朝をあの場で殺すわけにはいかないのだし、もっと書き様があろうものを。

役者は皆よく演技してるし、人物の創りも設えも何もかも美しいのよねぇ。これを観るだけで価値があります。スクリーンショット撮りまくりたいほど、1シーン1シーンが美しくて。

音楽も成功してるとおもうし。嗚呼…勿体ないこと。


このyoutubeのコメントを読むと、楽しんで高評価してるナカマがいるなぁと、ちょっと嬉しい。

歌姫に可愛い花を

去年の今頃もピーナッツのことを書いていました。


デビュー盤は、4歳の私の愛聴盤でした。
シャボン玉ホリデーモスラザ・ヒットパレード、大好きでした。
伊藤エミさんの安らかな眠りをお祈りします。